教えのやさしい解説

大白法 461号
 
草木成仏(そうもくじょうぶつ)
 草木成仏とは、草木や国土(こくど)などの心を有しないもの(非情といいます)が成仏の相(そう)を顕すことをいい、非情(ひじょう)成仏、無情成仏とも言われます。
 天台大師は法華円教に基づいて草木成仏の法理を説いています。すなわち、国土衆生に三千世間が具(ぐ)すという依正不二(えしょうふに)の法門を説き、さらに『摩訶止観』において、三千の諸法の一々が即空(そっくう)即仮(そっけ)即中(そくちゅう)の円融(えんゆう)の三諦であるという一念三千の法門を説きました。そして、『摩訶止観』に「一色一香(いっしきいっこう)無非中道(むひちゅうどう)」とあるように、非情である草木国土が悉(ことごと)く中道実相の妙体であることを明かしました。
 また妙楽大師は『金剛ぺい論』に、
 「乃(すなわ)ち是(これ)一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了(えんりょう)を具足(ぐそく)す」
とあるように、草木にも三因仏性が具有(ぐゆう)することを述べて、天台の草木成仏の法理を扶釈(ふしゃく)しました。
 日蓮大聖人は、『四条金吾釈迦仏供養事』に、
 「第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり。画像これより起こる。木と申すは木像是(これ)より出来す。此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり」(平成新編御書 九九三)
と仰せられ、天台の法理を依用(えゆう)して一念三千による草木成仏を明かされました。
 そして、『草木成仏口決』に、
 「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」(平成新編御書 五二三)
とあり、『経王殿御返事』に、
 「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(平成新編御書 六八五)
等と仰せられているように、草木成仏の法理によって人法一箇(にんぽういっか)の大曼荼羅御本尊を御建立されたのです。
 また、総本山第二十六世日寛(にちかん)上人は『観心本尊抄文段(もんだん)』で、草木成仏の法理について一に不改本位(ふかいほんい)の成仏、二に木画二像(もくえにぞう)の成仏を釈し、この二義の上から大聖人の御建立された御本尊の御当体(ごとうたい)を明かされています。不改本位の成仏とは草木の当体そのままを改めずに、本有無作(ほんぬむさ)の三身如来と拝することであり、木画二像の成仏とは木画の二像に一念三千の仏種をもって開眼するとき、木画の二像も生身(しょうしん)の仏であるということです。そして、この草木成仏の二義は『同文段』に、
 「若し草木成仏の両義を暁(さと)れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂(おも)うことなかれ」(日寛上人文段集 四七〇)
とあるように、御本尊の全体がそのまま本有無作、事の一念三千の御当体日蓮大聖人と拝するところにその極理(ごくり)があるのです。
 つまり、日蓮大聖人の草木成仏義は、天台妙楽等の観念上の草木成仏ではなく、久遠元初の御本仏として事の法体を事の上に開顕あそばされた仏法の極理なのです。